Arancione Fenice’s diary

趣味、いろいろ。日常、いろいろ。

小学校の卒業式で着たブレザーの思い出

我が子の話ではなくて私自身の話。昭和50年代後半。

20代の時に着ていた別のブレザーのボタン

二つ上の兄が卒業式で着たブレザーは知人に貸してアクシデント。染みをつけてしまったのか、着られない状態という事で私が着るブレザーを買う事になった。卒業という節目。親として気合いを入れて兄には伊勢丹で買ったので私にもそのつもりでいてくれて、新宿の伊勢丹へ母と出かけた。

三万円台のブレザーを買うつもりだったみたいだが、あいにく私に合うサイズは欠品。更に高価な四万円台のブレザーならサイズはあったけれど、裕福ではない我が家の家計へのダメージは深刻だったのだろう。購入は保留になった。我が家は普段百貨店で買い物をするような生活水準ではなかった。

帰りに新宿地下の商店街を歩いた。紳士服屋さんが地下通路に面したところにあって¥19,800の値札が付いたブレザーが店頭にだされてあった。実は伊勢丹へ向かう途中に私は気付いていて、帰り道でまた遭遇。

母さん、これで良いのでは?

母は特別な機会なので私の為に伊勢丹で買ってあげたかったようだ。だけれどウチの家計に余裕がない事を知っている私だ。七五三の時だって金のかかる和装じゃなくていいよって言い張った私だ(七五三当日は和装を羨ましく感じてしまったが)。私に押し切られて結局そこでブレザーを買うことになった。

母にとって百貨店で買い物をするのは特別な事。そんな特別な機会を失った反面、想定よりも安く済んだ事にホッとしているようでもあった。お直しをするのでその場で持って帰る事が出来ない事に小学生の私は不思議に思った。店の名前はローマ字が読めるようになってから裏地に縫い付けてあったタグを見てMITSUMINEと知った。

支払いを済ませて伝票を受け取り家路へ。地下街のラーメン屋で味噌ラーメンを食べて帰った。そのラーメン屋さんにはラーメンの種類がいっぱいあったのだけれど、何だかよく分からなくって普通の味噌ラーメンを注文したのを覚えている。

先日見つけたMITSUMINEのネクタイ。息子が卒業式で着たスーツ。明るい日差しに合わないようなひんやりとした空気。会う度に老いていく母の姿が私にこのブレザーの記憶を呼び起こした。